令和6年度湖東支部ウォーク
歴史・自然探訪in甲良
 【広報部長川口氏の取材メモ

歴史・自然探訪in甲良(日帰り研修)             

令和61120日(水)

9時~12時半

参加者:支部会員25名+甲良町ボランティアガイドの皆さん

 名目どおり甲良町の歴史と自然をダイナミックに紹介した充実した訪問内容であった。配布いただいたガイド資料は充実し、訪問先それぞれでの説明は懇切丁寧であり、多くの地元の方々に迎えてもらった。支部会員参加者は25名。本日のメインのボランティアガイドは、黄色のボンチョを着たHP管理担当の上野芳樹さんであった。支部会員には、才子のメンバーが隠れていると思った。

 せせらぎの里こうら 集合
   
三川分水公園

 三川分水公園―犬上川左岸の甲良・豊郷町エリアに水を供給している出発点がこの地

もとは荒地であった甲良の里が豊富な水によって豊かな農村地帯へと変貌した。古来には、渡来人の灌漑技術の助けがあった。その歴史をたどる第一歩がこの三川分水公園だ。

 一之井堰の碑 
 

 下流への水配分を決定する要所の地であったため、過去には竹槍持参の水紛争があった。

 紛争を終わらせるために犬上ダム建設の経緯と平和へのメッセージが刻まれていた。

楢崎古墳公園 
   

 少し上流へ向かい、楢崎の集落へ。そこには、渡来人であることを示す楢崎古墳公園があった。この地の渡来人の灌漑技術と甲良の里の人々の協力が荒地からせせらぎの里づくりへ動きだすきっかけになったのだろうと思わず想像した。

高源寺へ向かう 
   
   
   

 佐和山にあった石田三成屋敷の裏門を移築したとされる山門。山門入口の脇には、40期園芸学科の甲良・豊郷出身者が課題学習で作成した木製ベンチが置かれ、また寺内の竹垣修復も課題学習としての貢献である。

 
 

天徳山高源寺住職のお話をうかがう。

 「広いだけに私一人での掃除は大変なんですよ」とユーモアたっぷり話される住職さんから当寺の歴史に関わる話を伺った。直弼主膳の菩提を弔いつづけた村山たかの晩年の肖像画が堂内に掲げられてあった。また、地元の楢崎同族の位牌も安置されていた。

勝楽寺 
   
 
    足利尊氏とともに室町幕府樹立に尽力した佐々木京極道誉が京極領地内で距離的に京都に一番近いために住んだとされる甲良ノ庄勝楽寺。道誉(高氏)は「バサラ大名」と呼ばれ、武人でありながら茶の湯、能楽、立花、香道等の元祖といえる教養文化人。勝楽寺の背後には、南北朝時代の勝楽寺城跡があり現在では、2時間のハイキングコースになっている。寺内には、道誉の墓がある。
池寺の巨木─若宮溜の大杉へ 
   

 国道307号線を横切って西側の池寺の若富瘤のため池へ移動。ため池はビオトープ。

 集落の人々から崇められてきた巨木な大杉があった。大きな瘤を有する若富瘤の大杉であった。今も毎年9月2日には、大杉の前で若宮祭りの神事があるとのこと。

 
   
 
     

 池寺から平地に降りる。この高低差から池寺のため池の巨大な容量が伺えた。

 同時に、この高低差があるために大杉がすくすくと巨木になりえたのだろうとも思われた。

ヒイラギの森 
   

田園の一角に小さな森の公園があり、ここには珍しいヒイラギの老木がある。葉が歯痛に効くという。ヒイラギの寿命はそう長くない筈なのだが、ここのヒイラギは長寿で、普通平木の葉はギザギザなのだが、老木化して、丸い葉になっているのが見られた。

 
甲良町立図書館【旧甲良東小学校】 
   

 昭和8年に竣工した旧甲良東小学校は、現在町立の図書館となっていた。中を見学させていただいたが、見事な総ヒノキづくりなのである。素人がみても、立派な建前である。そのため、新校舎ができても、旧校舎を丸ごと移築して現在町立図書館として活用された経緯もうなずけた。また、校舎建設当初の地元篤志家の熱い思いという歴史的背景もあった。

 
   
町立図書館前にて集合写真 
  
 
   

12時半頃、せせらぎの里に戻り解散

皆さん大変お疲れ様でした。今回の研修を企画いただいた研修部員の方々、地元ボランティアや関係者に感謝いたします。本日のコースは、一万歩を超えたと思われるが、幸い、皆さん健脚で誰も脱落者はなし。いざという時に備えて、研修部では車一台を我々の後からフォローしてくださっていた。その万全の配慮にも併せて感謝したい。

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