2020年 地域探訪   国友鉄砲ミュージアムを訪れる


2020年10月15日、地域探訪として長浜市・国友鉄砲ミュージアムと国友景観地域の探訪をした
当日は国友郵便局横の駐車場に30人以上の参加者があり、奥長支部長と富永副支部長から
 挨拶を受けた後、国友鉄砲ミュージアム会館を訪れ、吉田館長から説明と展示品をみた

  国友の歴史

  天文12年(1543年)8月25日、種子島の門倉岬に一艘の中国船が嵐のため漂着した。そこに乗っていたポルトガル人から、
  初めて日本に2挺の鉄砲(火縄銃)が伝えられた。以降、国友・堺・根来など各地で鉄砲が作られた。鉄砲と共に伝わった
  新しい文化、特にネジの開発は、日本の歴史を大きく変えた。

  種子島に伝来した鉄砲は、足利将軍の命により早くも伝来の翌年に当る天文13年(1544年)から国友で作り始められた。
  ネジを切る方法など創意工夫を重ね、大量の鉄砲製造が可能になった。最盛期には、国友には70軒の鍛冶屋と500人を
  越す職人がいた。
  戦国時代には鉄砲造りで栄えたが、江戸時代に入ると需要は減り衰退するが、装飾の鉄砲や後に曳山の飾りなどで
  技術は伝承され、国友一貫斎(1778~1840)が反射望遠鏡など作り、日本初の天体観測をした。(ミュージアム資料を引用)


国友鉄砲ミュージアム前にて参加者記念写真

 
 
    奥長支部長の挨拶から始まる

 
     国友鉄砲ミュージアム全景

 
        展示品をみる会員

 
          展示品の数々

       

 
   富永副支部長から国友ミュージアム説明

 
    二階の展示品の説明を受ける

 
        館長より説明を受ける
 

  
     実物の鉄砲と製造方法説明

 
    国友一貫斎の生家の玄関前

        
   道路横のグレーチングにも鉄砲のマーク


  
           国友城の跡地

 
   公民館南側の整備された景観(鯉が泳ぐ)